遺跡群の概要
 国道11号線の北、堀越川の南側には、多くの遺跡が密集して分布しています。こ
れまでに、来住廃寺周辺では30次、その北に隣接する久米高畑遺跡において62次、
寺の東に広がる来住町道跡では13次におよぶ本格的な発掘調査が行なわれてきました。これら一連の調査の結果、来住廃寺とその周辺には、様々な時代にわたる貴重な遺跡が多数重複して立地していることが明らかにされています。
来住廃寺跡
  1979年に国の史跡に指定された来住廃寺は、7世紀後半ころに創建された寺院の跡です。1967年に塔基壇において調査が行なわれて以来、周辺では、これまでに30次におよぶ調査が実施されてきました。その結果、塔基壇のほかに、講堂、僧坊の跡と考えられる遺構などが検出されています。

久米官衙遺跡
  来住廃寺と呼んでいる区域の北と西には、久米高畑遺跡が隣接しています。ここでは、来住廃寺が建っていたころや、それ以前の時期の古代の役所(官衙/かんが)跡が多数確認されています。主な施設としては、回廊状遺構、回廊北方官衝、正倉院、政庁、政庁南東官衙などが挙げられます。基本的にこれらの施設は、一辺約109m(一町)四方の外郭施設で囲われた正方形の敷地の中に設けられ、敷地と敷地の間には、幅3から4m程度の道路があったものと考えられています。このように、土地を区画して利用していることが、この道跡の最大の特徴です。

弥生時代と古墳時代の遺跡
  この遺跡は、弥生時代から古墳時代ころの集落遺跡としても重要です。特に、弥生時代前期末から中期ころと、古墳時代後期の遺構が多く検出されています。その多くが、弥生時代の貯蔵のための穴蔵の跡と、.古墳時代の建物跡、溝などの遺構です。数は少ないものの、近年の調査によって、弥生時代の終末から古墳時代の初め頃の住居跡等が、遺跡群の南西部に分布していることがわかってきました。

中近世の遺跡
  この遺跡には、鎌倉時代から室町時代、織豊期を経て江戸時代に至る中近世の遺構も多数存在しています。現在の国道11号線に沿う微高
地の南辺部には、江戸時代の初め頃の集落や墓地のほか、江戸時代後半頃の墓も散在しています。

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