久米官衙遺跡群出土遺物
  遺物出土状況  平成元年松山市道久米92号線拡幅工事にともない実施した緊急調査の際に久米高畑遺跡7次調査地から『久米評』の文字が刻まれた須恵器甕形土器の破片が出土しました。
  評とは大化の改新(645)ころから大宝律令の施行(701)まで用いられた行政単位で、現在でいう市町村にあたり、「久米評」というのは、現在の久米地域を中心とした評であると考えられています。6×7cm前後の小さな破片ですが、郡衙の前身である評衙の存在を示す貴重な資料で、全国的にも珍しいものです。
  平成元年度に発掘調査を実施した久米高畑遺跡(くめたかばたけいせき)10次調査地で、方形周溝状遺構から、陶製の仏像台座と考えられる「陶仏台座(とうぶつだいざ)」が確認されました。
  陶仏台座は、高さ8.0cm、直径13.0cmほどの大きさで、白鳳時代の来住廃寺(きしはいじ)周辺から出土している初期の瓦と質感が類似していることから7世紀後半頃のものと推定されます。
  仏像は模式図です。左の陶仏像台座の使われ方を示しています。    周溝状遺構は東西9.4m、南北9.3m、幅1.3〜1.7mの規模で、古墳時代後期(6世紀ころ)の掘立柱建物跡よりも新しい時期の遺構であることが分かっています。
  久米高畑遺跡10次調査地は、正倉院(8世紀代)の北西角の西側に位置し、久米評銘刻書須恵器出土地点から東側に約50mほど離れたところに位置します。

  平城宮出土木簡
「伊豫國伊豫郡川村郷海マ里白髪□□・・」

伊豫国から平城京に納められた租税に付けられた荷札。細かな出荷地と品名が書かれている。

 

奈良国立文化財研究所蔵

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