久米高畑遺跡63次調査の成果
所在地 松山市来住町922
 主要な官衙施設である回廊状遺構の西約100m付近の水田において調査をおこないました。その結果、弥生時代から古墳時代頃の土坑や建物跡が多数検出されました。
掘立柱建物のうち、北部の掘立001と002の2様については、古墳時代後期以降のものであることがわかっています。その他の4本の柱穴で構成される建物の一部は、弥生時代後期頃のものと予想されていますが、これらの正確な所属時期は、わかっていません。なかでも、長方形の掘立003、掘立004、掘立018などは、高床式の倉庫であると考えられています。このような形態の建物は、54次や57次調査の際にも確認されています。六角形のSB010と011は、弥生時代前期末頃の円形竪穴式住居の柱穴だけがのこされたものです。
 北西部で検出された2棟の竪穴式住居址については、火災で焼けた可能性があります。特にSB001の場合、炭化物と焼土が、住居の中央寄りに集中して分布しています。焼土とは、高温で焼かれて、土器のように赤く発色した土で、通常、住居の炉やカマドの跡で認められます。今回、検出された焼土は、草ぶきの屋根の上に、ワラをおさえる目的や防火のために置かれた粘土が熱を受けたものと考えています。家の部材や屋根の材料が、よく焼けた場所ほど、固く赤い色の焼土になると考えられます。また、よく焼けた材は炭になることによって、腐ることなく後世にのこります。その結果、炭化物と焼土の組み合わせという形で、火災で焼失した住居の存在を知ることができるのです。
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