講堂推定地

  金堂基壇の北東には、江戸時代に長隆寺の本堂が建てられましたが、これに重複して大型の礎石が並んでいることが確認されていました。来住廃寺1次調査と3次調査によって、この礎石は講堂に伴うものと考えられましたが、平成19年度に行われた34次調査の結果、長隆寺が建てられた際に礎石が動かされている可能性が高くなりました。礎石自体は来住廃寺の建物に使用されたものと考えられますが、長隆寺創建時に再利用された可能性が高いと考えられます。
  また、講堂の周囲には玉石組の雨落溝が巡っていたと考えられましたが、来住廃寺32次、34次調査の結果、長隆寺の土塀の基礎である可能性が非常に高くなり、講堂の位置や形状について見直しが迫られています。

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