来住廃寺
  松山平野には、来住廃寺をはじめ、湯ノ町廃寺・内代廃寺・朝生田廃寺・中村廃寺・中ノ子廃寺・千軒廃寺・上野廃寺の8箇所に古代寺院が存在したと考えられていますが、発掘調査の結果、明瞭な寺院の痕跡が確認されたのは、来住廃寺のみです。
  昭和52(1977)年・同53(1978)年にわたって行われた発掘調査によって、法隆寺式伽藍配置を持つ古代寺院と考えられ、国の史跡指定を受けました。
  また、講堂や僧坊が確認されたほか、塔基壇の上には組合せ式の塔露盤(塔の一番上の屋根に置かれた石で、この上に相輪が立てられた)が残されています。
  しかし、塔や講堂については、構造に疑問を持つ研究者も多く、詳細の解明が待たれていましたが、平成17年度に塔基壇の全面的な発掘調査が行われ、実際は塔ではなく金堂であることが確認されたほか、講堂についてもその見直しが迫られるなど、来住廃寺の構造について再検討する必要に迫られています。